『八朔(はっさく)』という言葉をご存知でしょうか。

 

八朔は八朔の日の略ではあるのですが、この八朔の日は『田んぼ』に関係しています。

 

ちなみに果物の「ハッサク」がありますが、じつは名前に少し関連していたりします。

 

ここでは八朔の日は何なのか、いつからなのか、果物のハッサクの関連などについてご紹介します。

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八朔の日はいつから?

 

八朔の日は旧暦で8月1日のことをいい、新暦だと8月25日~9月23日ごろのことをいいます。

 

ではこの八朔の日とは一体なんなのか?

 

八朔の日とは何なのか?

 

八朔の日は、田の神様に豊作を祈願する日で『田の実の節句』とも呼ばれています。

 

そもそもなぜ八朔の日に豊作を祈願するのかというと、ちょうど八朔の日頃からお米の稲が実るからです。

 

昔は農家の人が、新しい稲を近所やお世話になった人にに配ることで『前祝い』・『豊作祈願』などの風習がありました。

 

自分の田んぼにお酒をまいたり、供えるなどしたり自分の田んぼを褒めるなどの地域もあるのだとか。

 

前祝いはある言葉がかけてある

 

なぜ近所に配るのかというと、『田の実』を『頼み』とかけたためとされています。

 

このため『頼みの節句』ともいわれてていたりもします。

 

それが徐々に広まることで、日ごろお世話になっている人に(頼みあっているひと)に稲ではなく、日ごろの恩と感謝をこめて物品と交換して親睦を深めていったそうです。

 

鎌倉時代になると贈り物を交換していく風習が武家社会でも広まり、節句の一つとなりました。

 

朔(さく)とは、1日という意味を持ちます。

 

八朔祭り

 

今でも全国には『八朔祭り』というものがあり、田の実にお供えし豊作祈願を祈るお祭りがあります。

 

熊本や福井などでは伝統祭としてあるそうです。

 

お祭りをすることで、地域の結束をまとめる目的もあるのだとか。

 

八朔は特別な日であった

 

八朔の日は江戸時代は特別な日でもありました。

 

それはなぜかというと、徳川家康が『江戸城』に入った天正18年8月1日の八朔の日だったからです。

 

そのため八朔の日に江戸幕府は『将軍家』のお祝いを述べる行事が行われ、江戸時代の徳川時代は八朔の日を祝日として、とても大切な日とされました。

 

大切な日のレベルは『お正月』と同じぐらいともされていたほど重要な日でもありました。

 

明治改暦以降は8月1日ではなく、9月1日に行われるようになったそうです。

 

果物の『ハッサク』の名前の由来

 

果物の日本原産のミカン科である柑橘類に『ハッサク』がありますが、このハッサクも『八朔』が名前の由来になっています。

 

名前の由来になったのは、1886年(明治19年)の旧暦の8月1日である八朔の日頃からハッサクを食べられるようになったため。

 

そのため『ハッサク』という名がつけられたのだそうです。

 

お中元はハッサクを送ってもよいかもしれませんね。ハッサクゼリーなども美味しそうです。

 

舞妓さんは挨拶まわりに

 

八朔の日では親戚や近所などい日ごろお世話になっている人に贈り物をする風習の『頼みの節句』がありますとご説明しました。

 

京都の祇園では八朔の日に舞妓さんが日ごろお世話になっている、芸妓のお師匠さん、お茶屋さんなどに『頼み』の挨拶まわりが伝統の行事になっています。

 

舞妓さん以外にも、他の地方でも八朔の日には様々な風習があるところがあるそうです。

 

まとめ

 

八朔の日は田んぼだけでなく、頼みとしてお世話になった人に贈り物を送ったり、ハッサクの由来になったり、徳川が関連していたりしています。

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